都市

斯く斯く然々の思いつきで書いてます。

私を離さないで

授業でカズオ・イシグロ原作映画「私を離さないで」見て話し合った。カズオイシグロについて話し合った。登場人物について、死について、倫理について、命について話し合った。そして未来について話し合った。

  先生は近未来にはこのような科学発展を遂げることが出来て、クロン人間を作り臓器提供だけを目的として生まれてきた人間というものが実際にあり得ることだという。そこでそのような反倫理的な行為をどのように捉えればいいのかについての問いを生徒たちに投げかけた。「難しい問題だと思います。臓器を必要とする人間はいくらでもいることだし、しかし彼らを人間として捉えるならばそう簡単に決められる問題ではないと思います」「死は怖いですね。命が尽きるという経験を誰もしたことがないんですから」「臓器提供はしたくないけど、もしもらわねばならない状況に置かれたら、私はもらおうとするでしょうね」結局言ってることは皆同じだった。死にたくないという願望を伺える。

  その時だった。それらを黙って聞いていた彼女は何か思いつめた顔つきで、手を挙げた。何か言いたそうな顔で。彼女の言葉は力強く僕の心に響いた。彼女だけは違っていた。私たちとは根本的ななにかが。彼女の一言に、我々が今まで口にしていた言葉は、すでにその重さを失っていた。死についてどれだけ熱心に語ろうとも直接的に経験したことのない我々が何を感じていようがそこにどういう意味があるのだろうかと言わんばかりに彼女は言い放った。「死が何故怖いんですか。私の家族は災害で全部死にましたが、私はその時たまたま東京にいて死ななくてすみました。人間は死がいつ来るのか分からないし、避けることもできません。運命ですから。だから怖くありません」それを聞いた先生はどう反応すればいいのか、適切な言葉を探そうと必死になっているように見えた。そばかすが所々にはめられていて、いつも熟したイチゴのような先生の顔は、さらにその色合いを増していた。場は凍りついて、僕は言葉をなくし、頭をもたげることもできないまま授業が終わるまでの間自分の足元を気まずそうな表情を浮かべながら見つめ続けていた。彼女は私の言葉をどのように受け止めてくれただろうか。我々は軽々しく死について語るべきではなかったんだ。我々の死が偽物で、彼女の死だけが本物であるかのように、彼女の発した言葉は重かった。

  チャイムの音が聞こえる。家に帰る時間だ。僕は素早く帰り支度を済ませてすぐさまその場を離れた。