都市

斯く斯く然々の思いつきで書いてます。

世界の捉え方

世界はクズとクズでないものに分けることにしよう。食べ物でいうと腐ったものと、毒を含んでいるものはクズで、そうでないのはクズではない。人間が食べることができるものはクズではない。クズでない食べ物は、多くの人間が食べたがるものであるほど、美味だと思われるほど高い値がついて、そうでないものであるほど安く手に入れて食べることができる。ものによってはクズとさして変わらない値段で取引される場合もある。逆にクズであってもクズでないものより高く売れたりするものもある。

   食べ物の値段を決めるのは味以前に需要と供給で、その需要と供給をうまく調節することができて、ある程度人為的に物の価値を作り出すこともできる。ことに近頃はミディアを利用していくらでも操作することができるので、ものの本来の価値について考えてみることも、もはや必要でなくなったのではないかと思ったりもする。本当の価値など、どうでもいいと。むしろ価値を決めるという行為があまりにも欺瞞的で、価値の判断を下すことがいかに無意味なことなのか知らされるばかりである。だからかは知らないが、いつのまにかあるものを見て感じたものへの判断を保留する習慣ができてしまった。そこで世界をクズとクズでないものにかなり極端な二分法的に思考を用いて理解しようとした。しかし何を基準に分ければいいのかと考えてみてもなかなか答えが出せないのは何故だ。ホームレスはクズなのか毒キノコはクズなのかタバコはクズなのか酒が、麻薬はクズなのか腐敗したパンはクズなのか、我々の排泄物はクズなのか、英語ができるのはクズではないのか、東大生はクズではないのか、自分の命を捧げて他人を助けた人はクズではないのか、犯罪者はクズなのか、isはクズなのか、アメリカ、日本は、中国は、韓国は、クズなのか、民間人を強姦し無惨に殺した軍人はクズなのか、ニートは、フリーターはクズなのか、高卒はクズなのか、女はくずなのか、黒人はクズなのか、白人はクズなのか、性格が悪い人はクズなのか、性格がいい人はクズではないのか、人はクズなのか、人でないのはクズではないのか、飛び降り自殺をした人はクズなのか、親を殺した人はクズなのか、学校をサボった人はクズなのか、真面目な人はクズではないのか、怠惰な人はクズなのか、聖職者はクズなのか、童貞はクズなのか、水商売の人はクズなのか、暴力団はクズなのか、ボランティアはクズではないのか、神はクズではないのか、などなどなど。まったく困ったもんだ。何をどう考えれば自分が納得が行くようになれるのか、そう簡単には答えが出なさそうだ。私はクズなのか。