火華

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死にたい

死にたいと言い始めたのは、小学校5年生からです。死にたいという人が本当に死にたくて死にたいと言うのではないように、私ももれなく死にたくないです。死にたいと言う選択肢にただただ気づいた。それだけの話です。死にたい死にたい死にたい死にたいと今迄散々呪文のように叫び続けてきた私がこうして「立派」に生きているのもその為です。

 

何で私は怯えてるいるのか、それは社会の一員になれないということを今更薄々と感じているからなのか、それとも自分の生き方に満足していないためなのか分かりません。仕方なく社会に染められなければならないのと、死にたくなくても死にたいと言わざるを得ないというのは似たようなものです。私が死ねない理由の本質はそこにあるのではないでしょうか。死にたくない。社会人になりたくない。私は本気をそう思っています。